Today’s Topic 今日のネタ④
鹿児島弁②
「そなたはこの私に下知するのか」は、時代劇で時々耳にする言葉ですが、『下知(げち、げぢ)する』という言葉は、今では国語辞典には見当たらず、古語辞典に載っているようです。ところがこれが鹿児島には方言として残っています。私が小さいころ時々聞いた、父が母に言うせりふの中にありました。「わいがおいせーげつすんな!(お前が俺に指図をするな!)」 『げつすっ』が何なのか、小さい頃にはわかりませんでしたが、大学生の頃、歴史小説を読んでいた時かと思うのですが、この『下知する』と言う言葉に出くわし、「ああ、これが父が使っていた『げつすっ』だ。」となぜか得心が行った覚えがあります。
『なおす』もまた然りです。東京での学生時代、友人に「そのこたつなおして。」と頼むと、「えっ、壊れてんの?」と言う返事が返ってきたものでした。鹿児島では片付けたり、しまうことを『直す』と言いますね。いかにも標準語っぽい言葉ですが、これが通じない。ところが鹿児島と同じ使い方をする県が他にもあるということをたまたまテレビで知りました。四国だったと記憶していますが、ある年輩の方が『しまう』という意味で『なおす』を使っていました。そこで改めて『なおす』を辞典で調べてみました。一般的には、1)『治す、修理する』が使われていますが、2)『直す。別の場所、位置におさめる』が確かに有ります。2)の意味が地方には残って中央では消えていったんですね。
このようにして、文化の中心地で生まれた新しい言葉が波紋のように周辺に広がって行った結果、発生の古い言葉ほど外側の遠隔地に残っていく、という方言周圏論の『蝸牛考(かぎゅうこう)』を唱えたのが国語学者の柳田国男です。蝸牛(かたつむり)の理論なんですね。
鹿児島弁も含めて、方言って実に歴史も感じさせる味わい深い言葉だと思います。生徒の皆さんも、方言上手なおじいちゃんやおばあちゃんと積極的に話をしましょう。そうすれば君も立派な薩摩弁士隼人になれるかも? (・・・っていうか、それ言うなら薩摩剣士隼人ね!)
(めーめー仔山羊)